無外流とは
無外流は、江戸時代1693年に流祖・辻 月丹(つじ げったん)が作った剣術(剣法)の流派です※。
没する三ヶ月前のその姿は、袈裟を掛け、手には払子を持った高僧の姿で描かれたものもあれば、また左の画のように、袈裟を掛けた姿ではあっても、右手に木刀を持ち、眼光鋭い剣者、月丹も描かれており、剣者でありそして禅者でもあった月丹を物語っているといえます。
※現在では主に居合の稽古がされています。
| 年代 | 主な出来事 |
|---|---|
| 慶安二年 (1649年) |
辻月丹(幼名:兵内)近江の国甲賀郡宮村字馬杉に生れる。 |
| 万治三年 (1660年) |
十三才の時京都で山口流剣術の師山口卜真斎について剣術を学ぶ。 |
| 延宝二年 (1674年) |
二十六才の時兵内は師匠より山口流の免許を認可、同時に江戸出府を許され、麹町九丁目に道場を構え、山口流兵法の看板を掲げた。 しかし名も無い田舎兵法者として相手にされず、僅かばかりの弟子と稽古し、修行した。また兵内は、学問と心の修養の必要を感じ、麻布吸江寺の石潭禅師に師事、禅学と中国の古典を学んだ。 その後石潭禅師が遷化されたため、続けて第二世・神州和尚に師事した。 そして兵内は四十五歳のときに悟りを開き、神州和尚は師石潭禅師の名で次の偈(げ)を与えた。 一法実無外(一法実に外無し) |
| 元禄六年 (1693年) |
名を兵内を改め月丹資茂(げったん すけもち)となし、流名を偈よりとり無外流とした。(四十五歳) 二十年の参禅により、剣者と共に禅者でもあり、学者でもあった月丹は、吸江寺を訪れる大名とも対等に語る事ができ、中には小笠原佐渡守長重、厩橋の藩主・酒井勘解由忠挙、土佐藩主・山内豊昌等がいた。 |
| 元禄六年 (1693年) |
江戸の大火により月丹の家も焼失。 それまでの弟子数は 不明も、元禄九年より宝永六年(1710年)まで十四年間の誓詞によると、月丹の弟子は、万石以上の大名三十二家、直参百五十人、陪臣九百三十二人とある |
