コラム

2026年9月14日 22時40分03秒 (Mon)

剣術、試し斬りに思う

 無外流では居合道の稽古に、形、組太刀、試斬を3本の柱と掲げる向きがある。それは剣技の磨き方として整理された方法であるが、それでは足りないと思っている。居合を習い始めたころより、対人稽古が足りないと感じていた。
居合道場で前立を許された頃、ますますその欲求と切迫感は募った。探しに探してたどり着いたのが千葉県大網白里の剣術道場・志操館道場だった。館長の金子翼先生は、動きながら斬る、対敵戦を前面に出した稽古体系を確立しておられた。
稽古の概要は、形で動きを反復した後、実際に巻き藁を斬ることで、動きと斬り感をつかむ。一般に居合稽古はここまでだが、志操館ではここが稽古の前半であって、後半むしろ本番は木剣での地稽古と、その後の真剣試合である。これは竹刀や袋竹刀でも木剣でもなく、刃引きの真剣か金属の模造刀で立ち会うものだ。防具は工夫されていて、安全には一応の配慮があった。
金子先生は、形や試し斬りだけでは完成しえない本物の剣術の稽古を実践しておられた。

現代における試し斬りは腕試しであって。その発生から江戸時代終焉期までとは目的も意味も大きく違えている。現代人の我々が稽古の一環として行う試し斬りは、刀技の完成を目指して刃筋を確認する技能的な目的、稽古の結果を示す腕試しである。いわば武技の成熟の指標、手段である。指導も技能的な助言になる。物体が相手だから、人によって刀が道具扱いなることがあり、それは不愉快だ。刀は斬れるのが当たり前、当たれば斬れるとうそぶく関係者も同様に不愉快だ。
そもそもの日本刀の試斬りは、安土桃山時代から江戸時代にかけて、刀の切れ味を試したもので、刀そのものと刀鍛冶に関する性能表示をする目的で行われていた。
刀鍛冶の地位を変化せしめるものでもあった。剣を知る者なら、斬れる刀を求めるという事だろう。
 
歴史上、山田浅右衛門は有名な斬り手である。罪人の死体を斬り、自己の実証記録が截断銘(さいだんめい)として 切れ味や結果、斬った胴の数(二ツ胴、七ツ胴など)を刀の茎(なかご)に金象嵌などで刻む文化が発生したという本物の専門家だ。「七ツ胴」の記録も残っているというからすごいことだと思う。
江戸中期以降は、御様御用(おためしごよう)として浪人身分だった山田浅右衛門家が代々世襲するようになったそうだ。当たり前に現代にそのような制度はない。
 
以前、私は古刀の切れ味を試したくて、研ぎに出したものだ。注文の際に切れ味を上げてほしいと告げた。研ぎ師の回答は、切るつもりなら研がない。このような古い刀で切ってほしくない、研げば刀は姿を変えていく。こんなに長い月日を越えて現代にこの刀が存在していることをちゃんと考えてみろと言った。学んだ。自分が浅はかだったと思う。
結局、ぬぐいだけかけてもらった。反省用に、今も所有していてして、たまに眺める。
志操館で金子先生にその話をしたら、はっはと笑い、その研ぎ師からしたら私たちは皆不届きものですねとおっしゃった。でも先生が現代刀を中心に所有していたことを私は知っている。
 
今でも眞傳會道場では門下に対して、研ぎ師に言われた事をその通り伝えている。
いい気なものだと自嘲する。
 
無外流居合兵道眞傳會 神崎龍閲
 

2025年11月28日 22時48分08秒 (Fri)

居合の歴史

【居合道の歴史】
居合の黎明
居合は、約450年以上の歴史を持つ日本の伝統武術です。林崎甚助重信(はやしざき じんすけ しげのぶ)によって創始された「抜刀術」が起源とされています。
室町時代末期(永禄年間)、出羽国(現在の山形県村山市)の林崎甚助重信が、林崎明神(現・林崎居合神社)に祈願・修行し、「抜刀術」の極意を体得したのが始まりとされています。甚助は自らの流派を「林崎流」または「夢想流」と名乗りました。この林崎甚助の編み出した抜刀術は、刀を鞘に納めた状態(居)から、敵の不意打ちなどに対して即座に抜き放ち、攻撃・防御する技術(合)として、多くの武士に伝わっていきます。
居合は剣術の裏芸などともいわれるようになっていきます。
 
居合流派誕生の時代
その後、江戸時代まで、多様な居合抜刀の流派が林崎流から誕生派生したり、独自に編み出されたり、様々な流派(古流)が生まれました。
主な流派として、無双直伝英信流、伯耆流、田宮流、無外流などが現在まで伝わっています。 無外流の誕生は元禄時代1693年です。剣禅一如を掲げる剣術流派としての誕生ですが、無外流の流祖である辻月丹資茂(つじ げったん すけもち)は、自鏡流の創始者である多賀自鏡軒盛政から直接居合を学んでおり、その技術は初期から併伝(一緒に伝えられること)されていました。そのため、自鏡流居合は無外流居合と呼称されていきます。
 
 居合武道への転換
身分である武士階級とその精神および行動の規範となる武士道において、歴史上の大きな転換が訪れます。明治維新後の廃刀令(帯刀禁止令)です。映画ラストサムライにドラマチックに描かれている時代です。
武士階級は消滅し、武士の武芸全般が衰退しました。
しかし、日本各地に武士道の精神は残り、有志によって技術や精神は継承され、現代の日本武道に至る道筋は継続されていました。日本刀も戦備として残り、それを用いた戸山流抜刀術が陸軍戸山学校に生まれ、現在に至っています。素晴らしいことです。

しかし、大東亜戦争の敗戦により、連合国軍総司令部(GHQ)によって武道は一時禁止され、再び憂き目にあいます。
その後1952年の講和条約発効に伴い解除され、ここから現代武道としての居合道が発展していくのです。
その歴史は「古流居合術」の時代から、「武道としての居合道」へと移行し、広く人間形成の手段としての武道が進化していきます。
現代では日本のみならず、世界へと伝播し多くの居合道修道者を育んでいます。
術から道を伴った居合道への変遷の歴史です。
 
現代居合道の発展
1954年 全日本居合道連盟が発足しました。戦後最も早く古流各派により結成され、
全日本居合道連盟 は居合道専門団体としては最も古い歴史を持ちます。現在も全国に支部・道場があります。
1956年には全日本剣道連盟に居合道部が創設され、剣道と同様の段位称号制が導入されました。 最大の居合道組織となります。
その後も、多くの団体や会派が立ち上がり、現在の居合の普及につながっています。
ちなみにNPO全日本伝統居合道連盟は2006年の発足で、古流会派の組織です。
 
以上、居合道全体と一部傍流の歴史を短くダイジェストしてみました。
当コラムに限らず、各流派や各団体による意見や情報発信が多くありますので、より多く情報に触れていただきたいと思います。
 
無外流居合兵道眞傳會 神崎龍閲